白豪主義に風穴開けた日本の戦争花嫁、チェリー・パーカー

当時発給されたのは期間5年のビザだけ。取得するには細かい条件が数多くありました。

Cherry Parker

Cherry Parker's determination marked the beginning of the end for the White Australia Policy. Source: SBS

*2019年にSBSで放送されたドキュメンタリーシリーズ「Australia in Colour」からの内容です。白黒映像をカラー化するという新しい試みでオーストラリアでの現代史を振り返りました。

チェリー・パーカー(日本名桜元信子)さんは広島県呉市で、メルボルン出身のオーストラリア軍人ゴードン・パーカーさんと出会いました。2人は日本で結婚しましたが、オーストラリアでの滞在が許されるまでに4年間掛かりました。2人の間には子どもが8人おり、最初の2人の子どもは日本で生まれています。

チェリーさんは第二次世界大戦直後、オーストラリアに移住した最初の日本人の戦争花嫁です。当時のオーストラリアは今とは違い、有色人種の移民を排斥する「白豪主義」を掲げていました。

戦争花嫁(war bride)とは、戦時中に兵士とその兵士が派遣された土地の住民との結婚で使われる言葉で、兵士と結婚した相手のことを指します。第二次世界大戦の後、世界中で多くの戦争花嫁が、それぞれ生まれ育った母国を離れました。

日本では、戦争が終わり、占領のために日本に駐留していた外国人兵士と日本人女性が結婚しました。多くのオーストラリア軍人が日本の戦争花嫁と出会ったのもこの頃です。

統計によると、1952~57年に日本からオーストラリアに移住した戦争花嫁の数は約650人。白豪主義が終わる1973年から20年も前のことです。
Cherry Parker
Lonely young women like Cherry Parker, far from home, had to jump through all kinds of hoops. Source: SBS
一方、1950年代に米国に渡った日本人の戦争花嫁は3万5,000人にも上るといわれています。そのため米国には、米軍人の外国人配偶者を入国させるための「戦争花嫁法」という法的な枠組みがありましたが、オーストラリアにはその枠組みがありませんでした。

白豪主義という逆風の中、オーストラリアでは日本人の戦争花嫁の受け入れを求め、軍人やその家族、コミュニティーによる草の根の運動が広がり、オーストラリア軍人の配偶者に対して例外が認められました。

それでも、日本の家族と離れオーストラリアに向かう若い女性が越えなければならない障害はいくつもありました。

日本の戦争花嫁はオーストラリアに滞在することが許されましたが、多くの条件を満たした上で発行されたビザの期限は5年間でした。ビザの審査では、夫が家族を養うことができるという証明の有無や、妻側のX線検査や健康診断、キャラクターチェックとセキュリティチェック、そして結婚がキリスト教式で行われたかどうかまで調べられました。

英語はもちろん、文化や慣習を学び、自分に求められている役割を果たさなければなりませんでした。

日本の戦争花嫁やその家族はオーストラリアで、敵意や差別の対象となり疑いが向けられることが多々ありました。住んでいる地域によっては、日本を敵だとみなす考えがコミュニティーにまだ強く残っていました。

メルボルンの港に到着した戦争花嫁が、工場で働くオーストラリア人女性たちから暴力を受けたこともありました。この女性たちは、オーストラリア軍人が外国人の配偶者を連れてきたことに怒りを感じていました。
Cherry Parker
Cherry Parker arrives in Australia with her husband Gordon Parker and her family. Source: SBS

オーストラリアの歴史の一部に

戦争花嫁がオーストラリアで体験した困難から50年がたった今、彼女たちそれぞれの人生、ストーリーがオーストラリアの戦争の歴史の一部として、語り継がれることになりました。

オーストラリア国立博物館(NMA)では2018年に、戦争花嫁のイシカワ・ヨシコさんが着た手作りのウェディングドレスが展示されました。

日本で仕立て屋をしながらウエイトレスとして働いていたイシカワさんは、駐留していたオーストラリア軍人のビクター・クリーグさんと出会い、1956年に東京で結婚式を挙げました。

NMAのキュレーター、レイナ・ホールさんはイシカワさんのドレスについて、彼女たちが直面した困難を含め、日本人の戦争花嫁が持つ広範なストーリーとともに、彼女たちがオーストラリアの白豪主義にもたらした重要な変化を伝えるものである、と説明しています。
*2019年のSBSのドキュメンタリーシリーズ「Australia in Colour」は同年3月6日から4回に分けて放送されました。

火木土の夜10時はおやすみ前にSBSの日本語ラジオ!


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Published 21 March 2019 5:46pm
Updated 12 August 2022 3:14pm
By Sharon Verghis, Miyuki Roberts, Junko Hirabayashi


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